百田尚樹『海賊とよばれた男』上下巻、読破。
読み終えたあと、しばらく動けなかった。
気づけば、涙がこぼれていた。
これは単なる経営小説じゃない。
成功物語でもない。
これは――
日本という国を背負って生きた男の魂の記録やと思う。
主人公・国岡鐵造。
明治から昭和、戦前・戦中・戦後という激動の時代を生き抜いた一人の経営者。
いや、経営者という言葉では足りない。
彼は「近代日本の侍」だった。
国岡は、金のために石油を売ったのではない。
日本にエネルギーを届けるため
日本人の暮らしを守るため
日本をもう一度立ち上がらせるため
命を張り
信用を張り
人生そのものを張った。
戦争で全てを失ってもなお、
「日本は必ず立ち上がる」と信じ、
焼け野原からもう一度船を出す。
その姿は、もはや経営者という枠を超えている。
これは「人間賛歌」の物語だ
この物語はこう問いかけてくる。
人間は、ここまで強くなれるのか。
人間は、ここまで信じ抜けるのか。
人間は、ここまで誰かのために生きられるのか。
だからこそ、読み終えたあと、
自分の弱さが恥ずかしくなった。
少しの困難で音を上げたり、
不満を漏らしたり、
投げ出したくなったり。
国岡鐵造の人生の迫力を前にすると、
そんな自分が情けなく思えてくる。
この物語の根底に流れているのは、
戦争という時代を生き抜いた人間たちの祈りだと思う。
空襲があり、
飢えがあり、
国そのものが崩壊した時代。
それでも彼らは、
「いつかまた普通の暮らしができる日」を信じて生きた。
その未来が、今の僕らだ。
僕らは応えることができるだろうか?
ふと、そんな問いが胸に浮かんだ。
先の戦争中、戦後の苦難を生き抜いた人間たちが
未来に託した想いに、
僕らは応えることができているのだろうか。
でも、考えてみれば答えはもう始まっているのかもしれない。
今日も誰かの食卓に弁当を届ける。
誰かの一日を支える。
誰かの「当たり前」を守る。
それは、彼らが命をかけて守った「日本の日常」そのものだ。
国岡鐵造がいたから、今の日本がある。
そして、今を生きる僕らがいるから、未来の日本がある。
商いとは、時代をつなぐバトンなのかもしれない。
そう思えたとき、
この物語はさらに胸に深く沁み込んできた。
『海賊とよばれた男』は、
経営者の教科書であり、
日本人の魂の記録であり、
そして何より――
人間賛歌の物語だった。

