ここにあった、ということ

和歌山と徳島を結ぶフェリーがなくなるかもしれない――
そんな話を聞いて、ふと立ち止まってしまった。

子供の頃、僕はあのフェリー乗り場が好きだった。
特に何をするでもなく、ただ船を見に連れて行ってもらう。
あの時間が、なぜか好きだった。

大きな船が静かに出入りして、
知らない人たちがどこかへ向かっていく。
その光景を、ただ眺めているだけでよかった。

今思えば、あの場所には
“どこかへ行ける気配”が満ちていたのかもしれない。

和歌山には、かつて当たり前のように存在していて、
気がつけば消えていったものがたくさんある。

丸正百貨店。ニチイ。長崎屋。
帝国座、松竹座、国際劇場。
七曲市場の賑わい。ぶらくり丁の熱気。

あの頃は、それが“特別”だなんて思っていなかった。
あるのが当たり前で、なくなるなんて想像もしなかった。

そういえば、僕が通っていた小学校も中学校も、
今はもう影も形もない。

もっと上の世代の人に言わせれば、
和歌山には市電も走っていたという。

さらに言えば、遊園地といえばみさき公園だった。
あの場所も、もう過去のものになった。

時代は流れる。
それはわかっている。

便利になって、効率が良くなって、
きっと全体としては“良くなっている”のだろう。

それでも――

失われていくものの中には、
数字では測れない何かが確かにあった。

フェリーがもし本当に無くなるとしたら、
それは単なる交通手段の消滅ではなく、

“あの場所にあった空気”が、
またひとつ消えていくということなのかもしれない。

懐かしい、という言葉では足りない。

少しだけ、胸の奥が静かになるような、
そんな感覚。

なにもかも、今となっては――
ただ、懐かしい。