春の風に桜が舞う季節になると、私はいつも思います。 咲いたと思えば、あっという間に散っていく—— その美しさと儚さに、どこか心を締めつけられるような気持ちになるのです。
そんなとき、ふと思い出すのが、三島由紀夫の小説『春の雪』です。
舞台は明治末から大正初期。 時代は、武士が消え、貴族制度が整えられた頃。 主人公は、侯爵家の跡取り息子・松枝清顕(まつがえ きよあきら)。
彼は、伯爵家の令嬢・綾倉聡子(あやくら さとこ)に長年複雑な想いを寄せています。 聡子もまた清顕を想っているのですが、二人の間には、 「家の格」「格式」「世間体」という、当時の日本特有のしがらみが立ちはだかります。
一度はその距離が縮まり、秘密の逢瀬を重ねる二人。 けれど、それは長くは続かず、やがて決して結ばれない運命が訪れます。
この物語は、「好き」と言うだけでは手に入らない愛。 時代に翻弄されながらも、一瞬の美しさを信じた二人の、切なくも気高い恋の記憶です。
清顕と聡子が生きたのは、明治末〜大正初期。 この時代、日本は近代化の波に乗り、政治や生活も大きく変わりつつありました。
貴族階級(華族)には「公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵」という位があり、 結婚も「家と家の結びつき」が重視されました。 「恋愛で結婚する」という考えは、上流階級ではまだまだ“わがまま”とされていたのです。
また、男性の服装はスーツや詰襟の学生服、女性は着物が主流。 ただし、少しずつ洋装も取り入れられてきた“ハイカラ文化”の幕開けでもありました。
食文化も、まだ“和”が主流の時代。 上流家庭では、お弁当といえば——
白ごはんに梅干しや桜の塩漬け
鯛や鮭の塩焼き
昆布巻き、煮しめ(根菜や椎茸を甘辛く煮たもの)
玉子焼き(甘くてしっかりしたタイプ)
菜の花のおひたし
そして、口直しに小さな羊羹
木の曲げわっぱに詰められ、 そのまま“季節”や“気持ち”がぎゅっと込められたようなお弁当。 どこか品があり、華やかすぎず、優しい味わい。
まるで清顕と聡子のような、美しい余韻のある味です。
花むらでは、そんな“時代の味”や“心の機微”を、 今のかたちで大切に伝えていきたいと思っています。
一瞬の桜、一瞬の恋、一瞬の弁当—— すべてが、誰かの心にそっと残りますように。