今朝は、すき家で朝食をとった。 白ご飯、味噌汁、焼き鮭、納豆、生卵、牛小鉢、漬物… 一見なんの変哲もない朝定食だが、私にとってこれは戦の前の儀式のようなものだ。
まず、生卵は一切かき混ぜず、そのまま 丸呑みする。 卵かけご飯には決してしない。 せっかくの白米の味を変えてしまうからだ。 喉を通る卵の温もりを感じながら、「ああ、今日も生きている」と実感する。 これはもう、私にとっての朝の祈りである。
次に納豆。 ネギと七味を入れ、徹底的に混ぜる。 粘りが出てきたら、さらに混ぜる。 「旨さとは、混ぜの向こうにある」 そう信じて、私は混ぜる。 そこには小宇宙が生まれる。
焼き鮭の骨と皮も、もちろん残さずいただく。 生命をもらっているのだ、粗末にはできない。 おかげで、五十路を迎えても骨折ひとつない。 ありがたや、ありがたや。
味噌汁には…そう、なめこを入れたかった。 あのぬめりが、朝の世界を別次元にしてくれるのだ。 すき家の味噌汁には無かったけれど、次回は自前で持ち込みたいくらいである(ダメ、絶対)
こうして、朝の定食に向き合うひとときは、 私にとって「食とは何か」を考える、 まるで哲学の時間のようでもある。
今日も花むらは営業中。 お客様に喜んでいただく前に、まずは自分の“いただき”の感謝を忘れずに。