「冷蔵庫がなかった時代の食卓と、令和の米不足に想うこと」

おはようございます。社長です。

明治や大正時代の小説を読んでいて、ふと気になったことがあります。

「冷蔵庫もレンジもなかった時代、 家庭の食事ってどんな風に守られていたんだろう?」

調べてみると、当時の食卓はとても質素ながらも、 知恵と手間と工夫にあふれた食文化だったことに驚かされます。

 

たとえば魚は、すぐに塩をすり込み、風通しの良い軒先に干す。 突然の雨には慌てて取り込み、天気と向き合う日々。

 

大根は切って干し、椎茸も豆腐も保存用に乾燥。 ぬか漬けは毎日混ぜて、乳酸菌を育てる。 冷やさずとも、“傷まないように工夫する”という文化が根づいていました。

 

食材は簡単に手に入るものではなく、 それぞれが「命」として、捨てることを前提としない使い切りの美学がありました。

 

そして、ふと時代は令和の今。 私たちは、かつて想像もできなかったような事態に直面しています。

 

「米が足りない」

 

この現象の裏には、さまざまな事情があるのでしょう。 天候不良、物流の混乱、農業の高齢化、もしかすると行政の判断ミス―― けれど何よりも感じるのは、

「食がいつでも潤沢にあることが当たり前」 という感覚が、どこかで私たちを鈍らせていたのかもしれない、ということです。

 

かつては、干す・漬ける・煮込む・分け合うことで、食材を生かしきっていた時代。 今は、余ったら捨て、値段が上がれば買い控え、 ときに“主食”さえも粗末にしてしまう空気さえ漂っています。

でも、もしかしたら――

今回の米不足は、私たちがもう一度、“食”とちゃんと向き合うきっかけなのかもしれません。

 

私たち花むらは、冷蔵庫がある今でも、 “昔の知恵”と“手間をかける心”を忘れずにいたいと思っています。

 

手で握ったおにぎり、丁寧に仕込んだ煮物、温もりあるごはん。

 

便利さに流されず、「食べものは命」という感覚を、 これからもお弁当の中に込めていきたいと思います。

そして、「当たり前」が崩れ始めた今こそ、 “当たり前じゃなかった時代”の知恵に耳を傾けてみる価値があるのかもしれません。