捨てられていた“いのち”が“宝”になるまで

昨夜、家族でホルモンを食べに行った。

 

しまちょう、まるちょう、せんまい、コリコリ。

 

僕は焼肉よりもホルモンが好きだ。

 

脂の甘さ、歯ごたえ、噛むほどに広がる旨味。 あれはただの「肉」じゃない。何かもっと深い、物語を感じる。

 

そもそも、ホルモンの語源は「放るもん(=捨てるもん)」だったらしい。

 

かつて見向きもされなかった内臓を、工夫と知恵で「ごちそう」に変えてきた人たちがいた。 僕はそこに、食文化の原点を見る。

 

いのちをいただくということ。 肉になるために命を落とした動物たちの、そのすべてを「無駄にしない」努力。

 

それがホルモンという文化の根っこにある。

 

 脂が多すぎる、匂いが独特、火の通りが難しい。 そんな「手間」を、昔の人は面倒がらずに乗り越えて、美味しさに変えてきた。

 

今の時代、便利で手軽で見た目のいいものがあふれている。

 

賞味期限が近いだけで「廃棄」される商品、映えないという理由で売れない料理。

 

モノがありすぎて、「もったいない」が感じにくくなってしまったこの社会で、 “ホルモン”は逆に、尊く見える。

 

ホルモンとは、「捨てられたものの復権」だ。 そしてそれは、命の再評価でもある。

 

 つまり、“放るもん”から“宝るもん”への、大逆転。

 

他の家族の子どもたちが「コリコリうまい!」と笑顔で言っていたのを聞いた。

 

僕はふと思った。

 

この小さな食卓から、「いのちの重さ」や「感謝の気持ち」って、 ちゃんと伝わっていくんじゃないかって。