先日、セブンイレブンで妙に気になる商品を見つけました。
「冷やし コショウそば」
最初に見たときは、
「へえ。コショウそばか」
くらいでした。
その日は買わず、そのまま店を出ました。
ところがです。
家に帰ってから、なぜか頭に残る。
「コショウそば……」
翌日になっても、まだ気になる。
結局、もう一度セブンイレブンへ行き、買ってしまいました。
コショウが特別好きなわけでもありません。
そばに特別な思い入れがあるわけでもありません。
なのに、
「コショウそば」
という言葉になると、妙に強い。
頭の中に楔でも打ち込まれたように残るのです。
「胡椒そば」だったら買っていただろうか
ここで少し考えてみました。
もし商品名が、
「胡椒そば」
だったらどうだったでしょう。
おそらく私は、ここまで気にならなかったと思います。
「黒胡椒香る冷やしそば」
だったら、もっと分かりやすい。
美味しそうでもあります。
でも、たぶん翌日まで覚えていません。
ところが、
コショウそば。
ものすごく単純です。
子どもでも読めます。
そして少しだけ変です。
この「少しだけ変」が大事なのかもしれません。
カタカナになると、急に“素材”ではなく“キャラクター”になる
「胡椒」と漢字で書くと、私は調味料を想像します。
料理に少し振るもの。
脇役です。
ところが、
「コショウ」
とカタカナになると、なぜか存在感が増します。
コショウそのものが前に出てくる。
「私はコショウです」
と名乗っているような感じすらあります。
ニンニク。
バター。
チーズ。
カレー。
こうして並べてみると、カタカナの商品名には独特の勢いがあります。
一方で、
大蒜。
乳酪。
香辛料。
などと書かれると、急に説明書っぽくなる。
文字というのは不思議なものです。
意味は同じでも、表記を変えるだけで印象が変わります。
「分かりやすい」の一歩先にあるもの
商売をしていると、商品名はどうしても分かりやすくしたくなります。
「豚肉とキャベツの甘辛炒め弁当」
これなら中身はよく分かります。
でも、
「豚キャベツ焼き」
と言われた方が、妙に覚えてしまうことがあります。
「大判メンチカツ弁当」より、
「大わらじメンチ」
の方が、一度聞いたら頭に残る。
説明として正しい名前と、
人の記憶に残る名前は、
必ずしも同じではないのでしょう。
今回の「コショウそば」も、まさにそれでした。
商品名は、売場を離れてからも働いている
今回いちばん面白かったのは、僕がその場では買わなかったことです。
一度見て、
買わずに帰った。
それでも商品名は、私の頭の中に残り続けました。
そして翌日、
もう一度店に行って買った。
つまり商品名は、売場に置かれている間だけ働いているわけではない。
お客様の頭の中に入ったあとも、仕事を続ける。
これはかなり強い販促です。
POPも広告もありません。
店員さんに勧められたわけでもありません。
たった数文字の商品名が、
翌日、一人のお客を店まで連れ戻したのです。
そう考えると、
「名前なんて中身が分かればいい」
では済まされません。
商品名も立派な販売員なのでしょう。
そして実際に食べてみた
さて。
そこまで僕の頭を支配したコショウそば。
蓋を開けると、
想像していた以上にコショウ。
「コショウ風味」ではありません。
コショウです。
名前に偽りなし。
味はどうだったか。
まあ、美味しかったです。
ただし、
かなりクセツヨ。
でも、この商品についてはそれで正解なのかもしれません。
万人に、
「普通に美味しいね」
と言われて忘れられるより、
「なんやこれ」
と言われながら記憶に残る。
商品にも、そんな戦い方があるのでしょう。
そして翌日まで「コショウそば」が頭から離れなかった私は、
見事にその戦略にやられた一人なのでした。
「胡椒」を「コショウ」にする。
たったそれだけ。
でも商品名というものは、
そんな小さな違いで、人の心への刺さり方が変わる。
花むらの商品名を考えるときも、
「中身を正しく説明する」だけではなく、
“一晩たっても頭に残る名前か”
そんな視点を持ってみても面白いなと思いました。
