ある日のことである。
僕は、なぜか知らぬが、
大量の枝豆と向き合う夢を見た。
目の前には、山のように盛られた枝豆。
その奥には、これまた見事な大盛りご飯が鎮座している。
湯気が、もうもうと立ち上っている。
まるで「さあ来い」と言わんばかりである。
しかし、僕は立ち尽くしていた。
考えてみれば奇妙な夢光景である。
枝豆は枝豆として完成されており、
それ以上でもそれ以下でもない。
それは、酒の友として幾多の夜を彩り、
人々の「とりあえず」を支え続けてきた歴戦の猛者である。
にもかかわらず、今、
この白米という神聖な存在の前に1対1で引きずり出されている。
これは果たして、正しい配置なのだろうか。
夢の続きを夢想してみる。
僕は一粒の枝豆を口に運び、
つづいて白米を頬張った。
……むむ。
これはいけない。
決してまずくはない。
しかし、これは「共演」ではなく、
ただの「並存」である。
互いに干渉せず、
それぞれが己の道を歩んでいる。
なんたる孤高。
思えば、世の中にはこういう関係が多い。
同じ場所にいながら、
決して交わらないものたち。
それぞれが完成されているがゆえに、
交わる必要すらないのだ。
枝豆と白米もまた、
そうした関係の一例なのかもしれない。
私は夢想をやめ目を見開いた。
そして、静かに結論を下した。
枝豆は、ご飯のおかずにはならない。
しかしながら。
それでも僕は、枝豆を食べ続け、
白米もまた、食べ続けるのである。
なぜなら食卓にはよく
山のような枝豆と、
逃げ場のない白米が出るからだ。
この世は、ままならぬ。

